NIGHT TRIPPER 番外編 : Jasmin 1

2013年12月13日 01:01

「おい水原(みずはら)」

 かけられた声に顔を上げると、向かいのデスクの主である山根(やまね)が、立ったまま俺を見下ろしていた。

「ご指名だ。局長室」
 と、彼は言った。
 一瞬言葉に詰まってから ―― 局長に呼ばれるような心当たりはないし、そんな立場でもないのだ ―― それでも俺は内心の困惑を隠して短く礼を言い、6割ほど出来上がった報告書のファイルを手早く保存してからPCを閉じて立ち上がる。
 ブリーフ・ケースから書類を取り出そうとしている山根と目があった。これ見よがしに聞こえてくる、軽い舌打ちと不愉快そうな表情。これにも、もう慣れた。
 俺はため息をかみ殺してデスクを離れ、足早に出入り口へと向かう。

 後ろで誰かが「このホモ野郎が」と、吐き捨てるように言うのが聞こえたが、俺はもちろん、振り返らなかった。


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「・・・出向 ―― ですか」

 初めて足を踏み入れた局長室で、俺は言った。
 部屋に響いた声は、自分のものには聞こえなかった。

「出向というより、特殊任務と言う方が近い」
 と、刑事局局長の室岡(むろおか)が説明する。が、そもそもここからしておかしな話だった。
 入庁以降、俺が在籍しているのは生活安全局の少年課である。当然今、俺が立っているのも生活安全局の局長室なのだが ―― そこに刑事局の局長がいて、生活安全局の局長を差し置いて話を進めているのも良く分からない。
 しかもその場に顔をそろえている錚々たるメンバーには刑事局の人間だけでなく、公安の人間(雰囲気が違うので丸分かりである)も含まれていた。恐ろしすぎる。縄張りを侵す行為をなによりも嫌う警視庁の内部においてこれは、完全なる異常事態である。
 先の予想は全くつかないものの、嫌な予感だけは刻々と強まってゆく。

「・・・、・・・特殊任務・・・?」
「そうだ。期間は未定、他言も無用。任務内容は内偵だ ―― 駿河会を知っているな?」
「・・・もちろん名前だけは・・・しかし私はずっと軽微な少年犯罪を扱ってきておりますので、暴力団の内偵するようなスキルはありませんが ―― 」
「もちろん君に暴力団事務所へ潜り込めなどとは言わない」
 恐る恐る反論した俺の言葉をぴしゃりと遮って、室岡は言った。
「軽井沢に駿河会の関連会社が土地を購入するという情報が入ってきた。君にはその土地のすぐそばにある、喫茶店を経営してもらう。第一の任務はそこに出入りする関係者の動きや、耳に入った情報をこちらにあげることだ。そしてもう一つの任務は、機会を見て駿河会のトップに食い込んで欲しい」

 俺は驚くというより呆れて言葉を失った。
 当然だろう、“暴力団事務所へ潜り込めなどとは言わない”と言った舌の根も乾かぬうちに“駿河会のトップに食い込め”などという真逆の命令をされているのだ。
 刑事局や公安のベテラン中のベテラン刑事であったとしても、暴力団の ―― しかも駿河会という日本最大級の組織の ―― 中枢に潜り込み、そのトップと会話を交わせるようになるなど、不可能に近いのではないだろうか?

 だがそんな俺の戸惑いは、次の室岡の言葉で打ち砕かれた。

「難しい任務なのは百も承知だ。これに関しては出来れば、という話であって、無理をしてまでやれと言っているわけではない。だが・・・あそこのトップである辻村俊輔には男の愛人がいるらしくてな。 ―― まぁそんな訳だから、上手くやって欲しい。君を見込んでの話だ。よろしく頼む」


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 全くね、と俺は思う ―― いくらなんでもこれはないだろう、と。

 いかにもついで、というような言い方をしていたが、ひょんなことから同性愛者であるということが露見した俺を上司や同僚が持て余している現在、長期の特殊任務と称して体よく俺を厄介払いしようという目的は明白だった。
 そしてついでに“ホモの暴力団組長に色仕掛けが出来ればラッキー”というところなのだろう ―― 馬鹿馬鹿しすぎて、怒る気にもなれない。

 馬鹿馬鹿しい、というのは任務についてだけではない。
 もちろん実に呆れ果てるような発想ではあるが、こうなることが簡単に想像出来たのにうかつに性癖がばれてしまうようなミスをしたのは自分だ。
 今更、“この性癖が誰に迷惑をかけているわけでもないのに、なぜここまで馬鹿にされなければならないのだ?”などという青臭い文句を言う気もない。
 だが渡された大量の資料の初めに添付されている辻村俊輔のいくつかのスナップ写真を見た瞬間、俺は伺うような同僚たちの視線(俺がどんな用で局長室に呼び出されたのか気になるのだろう)のなか、爆笑しそうになってしまった。

 おいおい、タチネコの問題は考えたのか? ―― 局長室に引き返し、そう問いただしてやりたくなる。
 ざっと見た資料にはその辺の記述はなかったが、どう考えてもこの辻村俊輔という男はネコになるタイプじゃない。
 相手によっては(つまりフィーリング次第では)どちらでも、というタイプもいるが、この辻村俊輔はそういうタイプじゃないように思える。
 因みにそれは俺も同じだ。見た目はほっそりとしているので誤解されたのかもしれないが、俺は男に抱かれるなんて冗談じゃない、という揺るぎないスタンスでやってきている人間なのだ。どうしろというのだ。


  ―― しかしまぁ、そんなことは考えようとも・・・想像すらしていないのだろうな、とも思う。
 ホモ同士ならなんでもいいんだろう、くらいに思っているに違いない。実に人を馬鹿にした話だ。


「・・・ストレートと何にも変わらないんだよ・・・ちょっと考えてみれば分かるだろう、少しは想像力ってもんを働かせろよな」
 と、俺は資料を読み込みながらぶつぶつぶつぶつ、言っても仕方のない文句を口中で呟く。


 だが当然ながらそこは宮仕えの身、日々の糧を得るためにはどんな理不尽で馬鹿馬鹿しい要求にも“否”を言うことは許されないのであった・・・ ――――




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